西安紀行2005

〜その2

2005.6.24

Sleepin' on the rooftop
 西安2日目、朝6時すぎに眼がさめた。同室のKさんが「ちょっとこっちに来て見てみろ」というので窓の外を見ると、隣のビルの屋上で大勢寝ている。コンクリートの上にシートをしいて、タオルケットのようなものをかけてザコ寝している。ビルはアパートのようなものなのだろうが、暑い時期はこうするのであろう。見ると屋上は決してきれいとは言えない。ゴミが山積みの横で寝ている。こういう光景、私はけっこう好きである。
 朝食は洋風バイキング。日本のへたなホテルのバイキングよりよほどうまい。明日は中国おかゆでいってみよう。


リアルな埴輪

 やがて集合時間、今日もパトカー先導である。前に車がいると「どけどけ」とばかりにサイレンを鳴らしてどんどん進む。道行く人が振りかえるが、バ
スに乗っているのはVIPなどではなく、田舎のおっさんおばさんである。^^;

 今日の最初の行き先は世界文化遺産・兵馬俑である。バスの中でしっかりと(延々と)説明を聞く。
 兵馬俑に着くと、駐車場を素通りして、どんどん中へ入っていく。歩く人たちを尻目に、入場ゲートの前までバスで行き、ここで入場。ツアー客はここまでこれるのだろうか。あるいはこれも特別?
 兵馬俑は本などで見ていたはずであるが、ほとんど興味がなく、今日はじめてちゃんと見た。ずらっと並んだ人形に圧倒される。ガイドさんは「埴輪」と言っていたが、日本のデフォルメされた埴輪のイメージとは全然違う。むしろギリシア彫刻のようなリアルさがある。顔も1つ1つ違い、ヒゲがあったりなかったり。何より表情がある。
 あの時代にこれは大したものである。精密さというか表現力の高さは国としての、また文化としての質の高さをうかがわせる。あれほどの表情豊かな人形を作るのは、単なる技能だけではない。軍隊を作って組織的に戦うこと、鎧や戦車など、秦の統制された国力には驚くばかりだ。特に文化は、軍隊のような単なる訓練だけではなかなか成熟しない。
 私は三国志が好きだが、秦はその存在自体が驚きである。その時代に日本はまだ弥生時代なのだ。

 ところで兵馬俑の兵士の身長は180〜190cmもあるという。これは大げさなのではなく、北方民族なのだそうだ。この夜飲みに行った外事弁公室のTさんも「私は北方民族タイプです」と言っていたが、背が高く、おおらかである。顔の特徴は頬骨が高く、目が細く、鼻がスマートで唇が薄い。日本で言う「ショーユ顔」というか、宮川大助というか、松井秀樹というか、まああんな感じだ。
 北方の屈強な騎馬民族が兵士として活躍したのだろうか。人の交流もダイナミックだったということなのだろう。このことも、この時代を日本の弥生時代と同列に考えてはいけないことを実感させてくれる。さすがは世界最古の国の一つである。ただただ感心。

 さて、兵馬俑を出てしばらく走ると、秦の始皇帝陵墓が見える。高さはピラミッドに及ばず、広さは仁徳天皇量に及ばず、ということであまりメジャーになれない遺跡である。今回の観光ツアーでもしっかり外されている。見どころもないのかもしれないが。
 始皇帝は、当時のゆっくり流れていた時間の中では信じられないほどの行動力であったに違いない。よほどの才覚であったろう。そしてよほどの残忍さというか、容赦ない人間であったのだろう。そうでなければ、あの時代にあれほどのスピードで領土拡大などできるはずがない。
 いずれにせよ、中国人のエネルギーを感じる。友好的に、しかし油断することなくつきあっていかねばならない民族であるなぁ。


メモリー補給
 
 続いて華清池(かせいち)という玄宗皇帝と楊貴妃の風呂場(温泉)。温度は42度もあるらしい。「3000年前に火山が爆発してできた」というが、それではここは活構造地帯なのか?でも地震なんてないぞ?と不思議ではある。そのうち調べてみよう。
 ここでデジカメの消費枚数が80枚に達した。100万画素標準画質で残50枚。不安だなあと思っていると、フィルムを売っている屋台がある。覘いてみると、なんとSDカードを売っているではないか。128kBで400元。1元=14円とすると5600円である。最近の相場を知らないので高いのかどうかわからないが、面倒なので買ってしまった。(帰国後に知ったが、やはりメチャ高かった。日本で買う倍近くしたと思う。ToT)
 それまでのものは64kBだったので一気に余裕が出た。100万画素標準画質で255枚。190万画素詳細画質でも100枚以上撮れる。これなら大丈夫だ。もっとも、こういう時に限ってバッテリーが切れるのだが・・・・^^;
 私は今使っているカシオのEXILIM(初代機)が気に入っているのだが、これは最大でも190万画素程度である。しかし私はこの程度の画素数で充分だと思っているので、問題なしである。しかし、どうも旅行に出るとおみやげ以外のものばかり衝動買いしていけない。


ベタベタ観光ツアー
 かなり暑くなってきた。昨日に比べたらずっと気温は低いが、薄曇りなせいか湿度が高い。ここで昼食のためバスで西安に戻る。すでに皆さんお疲れで大半の人が眠っている。
 パトカー先導であいかわらずガンガン走る。赤信号も無関係で突っ込み、逆走も平気だ。ガイドに「すごいね」と言うと、「そりゃあそうですよ。何のためのパトカーですか」と来た。^^;
 さて、昼食は「東方大酒店」にて。様々な肉料理やうどん、チャーハンなどでまたまた腹いっぱいである。相変らず食べきれない量が出る。健康にいいらしい酒と梅ぼしのお菓子をどっさり買った。これで義理みやげは終り。
 続いて「西安民間芸術館」でショッピング。もうベタベタのツアー状態だが、家族にシルクなどのみやげを買った。まったくの市民むけの店に行きたいし、街をブラブラしたいが、今回はツアーで、しかも市民使節団なので、涙を飲んでがまんすることにした。


Just growin' up
 続いて向かったのは西安ハイテク産業開発区である。説明を受けるために通された部屋は、大学のセミナー室のようで、後ろに向かって高くなる半円形に配置された机、天井にセットされたプロジェクター、壁にはスクリーンが作りつけられ、建物の中全般とともに、日本の最新の施設に比肩する。
 この高新区は1994年に中国国家クラスのハイテク開発区として開発が始まり、48平方キロの広大な開発が進んでいる。ISO14000国家モデルにもなっているそうで、緑化率が40%近い。
 また開発の成果は次々と実益に移され、営業売上もうなぎ昇り、従業員は20万人を超えている。
 日本からの出資企業も多く、2010年までに売上2500億元、従業員数80万人など、目標もでかい。
 区内を走れば、開発区特有の風景が広がる。広い道路とゆったりした土地割り、広い緑地。中国の勢いの一つを感じる。
 桁違いの人口に支えられた潜在力に国家統制によるインフラ整備など、中国が日本をキャッチアップする日は近いという気にさせられる。
 そして、なによりも、経済停滞の中で「まちづくり」どころか企業がどんどん撤退して衰退していく我がふるさと・小浜の現状を振り返ると、なんとも陰鬱な気持ちにさせられる。


西安ぶらり
 ホテルに戻ったのは午後4時半ごろ、5時すぎから西安市表敬訪問、6時半から交流夕食会であるが、表敬訪問は役員だけなので、我々は2時間ほどフリーである。
 これはラッキーと街へ出かける。店を覗きながら路地にまわると、青空市が立っている。野菜・果物を中心に売っており、やはり活気がある。
 道ばたではマージャンをやっているが、何せ牌がでかい。よく知られた話だが、中国では河(ホー)に捨て牌を並べない。雑然と捨てられる。これでは誰がどの牌を切ったかわからなくなるが、フリテン和了もOKなのだ。おっさんだけでなく、女子供もやっている。一緒にやってみてえなぁと思うが、さすがにやめておく。
 とにかく、国内外問わず、旅先で私が一番好きな空間、人々の生活がある空間だ。

 やがて少し広い通りに戻った。道を何でも走っている。車やバイクは無論、自転車に山のように籠を積んで運んでいる。自転車の後ろに大八車を引いている。バイクもヘルメットなどしていない。横断歩道に限らず、いつでもどこでも車のすき間を狙って人がどんどん横断する。見ると、車もすき間があればどんどん割り込んでいく。うーん、この国の交通ルールはよくわからん。
 少し行くと、道の横にゴミを山積みした大八車が止めてある。そう、この国はゴミもやたらと多い。道の隅っこ、広場の隅っこ、屋上の隅っこ、とにかく「隅っこ」にはゴミがある。また、「分別」などという概念もないように思う。
 ビルの工事現場があった。見ると、2人ほどがコテで型枠の中にセメントを塗りこんでいる。まさかあの調子でビルを作るのではないだろうが、タワークレーン以外にこれといった建設機械も見当たらないので、少々不安になったりもした。^^;
 1時間半ほどでホテルに戻った。結局買ったのは文房具を少しだけで、おみやげといえるようなものは買わなかったが、路地裏の日常生活の中を歩けて楽しかった。西安市の人口710万の多くはこういった人達なのだから。これで言葉が通じれば言うことなしだが・・・・

恐るべし副市長
 交流夕食会はホテルのパーティールームで開かれた。西安市の副市長はじめ管理職各位と夕食をともにした。私のテーブルには農業担当の課長さん(だったか?)が同席したが、通訳がいまいちの語学力であまり話ができなかった。「大分の一村一品が有名で、視察に行った」と言っていたのが印象的であった。
 それはそれとして、アルコール度数56度の「白酒」で何度も乾杯するのはまいった。私はスタッフを除けば最年少であるため、テーブルみんなを代表してしょっちゅう乾杯していたので、かなり回ってしまった。
 しかし中国側は「カンペー」と言った以上は飲み干さないといけないのか、白酒を必ず空にする。おちょこよりまだ小さい容器ではあるが、あんなに飲んだら大変だろう。その中でも副市長はものすごい。テーブルを回り、各テーブルの主な賓客(こちらサイドの役員さん)全員と「カンペー」している。あれは水ではないのか?と思うのだが、こちらの役員さんは飲んだ後「カーッ」という顔をしているので、白酒なのだろう。うーむ、恐るべし副市長。見たところまだ50歳そこそこだが、やり手である。(何の?^^;)

恐るべし入場式
 交流会が終わり、中国側客人が帰ると、そこには白酒で「カンペー」して酔っぱらったおじさん連中と、たらふく食べて満足顔のおばさん連中だけが残された。
 しかし今夜の公式行事はまだ半ば、次は「入城式」である。いったいどんな行事なのかよく理解できないままバスで南門のほうへ行くと、人だかりである。何かなと思っていたら、入城式を見にきているとのことである。
 え、そんな大がかりなものなのと思っていたら、やがてバスが止まり、ここで降りろという。
 降りてみると、門へ続く歩道にずっと赤じゅうたんが敷いてある。両側を人が埋め、ライトがこうこうと照らす。その先に数段の階段があり、その上がステージになっている。げげ、ここを歩くのか?
 たいそうな舞台だが、そこを歩いていくのは服装もバラバラの酔っぱらったおやじどもとおばさん達である。
 何とも場違いな心地で歩いていくと、ステージはライトアップされ、大音響PAが並ぶ。ありゃりゃと思っていると、ステージ真ん中で市当局の外事主任氏の歓迎挨拶が始まった。で、でかい音だ。酔っぱらい一同、精一杯居ずまいを正して拝聴する。
 挨拶が終ると続いて大音響で中国音楽。見ると城門のほうから何か来る。唐代の兵士に紛した集団が三角の旗を持ってやってくる。それが両側へ分れると、今度は女官、さらに家臣、踊り子と続いて皇帝と妃が出てきた。いやあ、大セレモニーである。酔っぱらい一同も事の重大さを思い知り、身のおきどころがないなあと思いつつ、身じろぎもせず立っていた。
 やがて全役者が集まり、音響一段と大きく、フィナーレとなった。「入城の鍵」が贈呈され、赤じゅうたんが敷かれた歩道を通って入城である。
 さきほどの踊り子達が両側に並び、ポーズをとったままフリーズしている。「あ、どうもどうも」とペコペコしつつ酔っぱらい一同は城内に入った。
 入ると再び大音響。なんだなんだと見ると、太鼓と鐘の打楽団である。おおっと思う間もなく、手を引っぱられて一緒に踊れという。踊り子さん(子というような年齢ではないが)に手をとられてぎごちなくステップを踏む。ワン、ツー、バックの超単純なステップだが、なにせこちらは酔っぱらいである。ちょっとよそ見をするとすぐに狂ってしまう。うーん、そろそろ終ってくれないと困るなあと考えはじめたころにちょうど終ってくれた。
 さらに打楽器演奏は続く。太鼓の音に血が騒ぎ、ふらふらと近づいてじっと見ていた。よく見ると叩いているのはおじさんおばさんである。将軍兜をかぶった指揮者が気持ちよさそうに指揮をとっている。後で聞いたら祭りの出しものと同様の音楽なんだそうだ。
 太鼓の大音響がいっせいに止まり、またまた西安副市長登場、あいさつセレモニー、記念撮影と続く。副市長、あんなに白酒を「カンペー」したのにぜんぜん平気である。やはり恐るべし!
 その後、城壁に登って夜景を楽しむ。長安の大通り、朱雀通りの近代夜景である。まったく歴史で習った物事に触れるというのは、理屈ぬきにいいものだなあと妙に感心した。
 城壁を降りると、再び太鼓が鳴り出した。我々が城壁に登っている間、ずっと身じろぎもせずスタンバイしていたのだ。けっこう年配のおじさんおばさんなのに気の毒だなあ、ありがたいなあと思いつつ、太鼓の大音響の中をバスに乗り込み、長安城を後にした。
 まあなんとも気恥ずかしくなるくらい派手派手な歓迎であり、田舎町の酔っぱらいどもも今はすっかり酔いもさめ、中国人は面子を尊ぶというのは本当だなあ、すごいところと友好都市になっちゃったなあ、今後のつきあいが大変だなあ、などと思つつ、ホテルに帰ったのであった。

これがしたかったんだ
 ホテルに帰ると夜9時過ぎである。昨日はたっぷり眠ったのでまだエネルギーがある。報道として一緒に来ている新聞記者のO君を「飲みに行かへんか?」と誘うと、「いいっすよ。じゃあ、ガイドも連れて行きましょう」と言う。「うん、ええで」と言いつつ、(生活臭も何もない外国人向けの店に連れて行かれたら嫌だなあ、大丈夫かなあ)と思っていると、連れてきたのはまだ若い長身の男性。外事弁公室のTさんという。
 どこに行こうかというと、「このホテルの向かいによく行くバーがあるから、そこへ行きましょう」と英語で言う。道すがら聞くと、彼も日本語はカタコト程度らしい。外事弁公室、日本語のできるスタッフは限られているようである。ところが彼はドイツに2年間留学しており、ドイツ語ならペラペラだという。でもそれはこっちには無理な相談だ。大学で第2外国語に選択してはいたものの、会話なんぞできるはずもない。O君に聞くと、彼は第2外国語は中国語だったらしい。「なんや、それなら中国語多少はわからへんのか」と聞くと「むりっすよぉ」。ごもっとも。結局、3人の最大公約数ということで英語で行くことにする。全員ネイティブではないのだが・・・・やはり英語は共通語なのだなあ。
 くだんのバーは、雑然とした雰囲気がいい。表の歩道にもテーブルとイスが我が物顔で並べられており、暑くもあるので、そこで飲むことにする。座ろうとすると、足元には大量のゴミ。つまみを食べ散らかしたあとだ。こういうものは足元にどんどん捨てるらしい。まったく「ゴミの国」だなあと思いつつ、面白いので写真を撮った。
 ゴミを片付けてもらって着席し、我々はビールを、Tさんは飲めないということでコーラを注文する。ウェイトレスに注文しているが、相変わらず中国人同士の会話は怒っているようにしか聞えない。Tさんにそのことを言うと、「北方系中国人は声も大きいし、オープンな性格なので、そういう風に言われることが多いですね」とのこと。しかし、実は若干怒ってもいたのだ。「なんで日本人なんかにビール飲ませなあかんねん!」とウェイトレスは言っていたらしい。
 会話はたどたどしいながらも弾み、
「兵馬俑はすごいなー、文化の厚みを感じたわ。中国の人らは自国文化とか歴史にすっごい誇りを持ってんねんなーて感じた」(おだててるわけではない)
「今朝、屋上で寝ている人たちにびっくりした」「建物の中は暑いですからねー」
「北方系の人は大柄でおおらか。南方系の人は内向的ですね」「そうか、あまり合わへんのやな」「まあそうですね」
などなど他愛のない話から、やがてO君が記者魂を発揮して、反日デモの話を切り出す。驚いたのは、Tさんは反日感情の最大原因は尖閣諸島だと言ったことで、「え?ほなら靖国は?」と言うと、それも重要だとは言ったものの、二の次という感じであった。外国に行ったことのある者は、中国国内での偏向した教育がウソであること、中国政府のほうがはるかに欺瞞が多いことを否応なしに知る一方で、政府に反対するようなことも言えず、結果としてクールなスタンスになるのだそうだ。そしてくだんのウェイトレスのように「中国以外を知らない人」が、いうなれば政府の言いなりになるようだ。
 その後会話はさらにキワドく、天安門事件、文化大革命へと進む。会話がディープになると、互いの英語力の限界が露呈するのであるが、そこを漢字による筆談で補うという裏ワザを使い、かなり濃密な会話であったように思う。
 腹が減ったので屋台の水ギョーザだかワンタンだがをつまむ。熱くてピリカラだが、ビールによく合う。
 やがて会話は給料の話、さらに結婚の話などに進み、O君が遠距離恋愛中だと打ち明けて皆で励まし、お開きとなった。
 ホテルは道の向いだからどうやって帰ろうかと思っていると、Tさん、「車の間隙をぬって渡るんですよ」。言うが早いか、「No rule!No law!」と叫びながら道を突っ切っていく。言っておくが、片側2車線の大通りである。うーむ、やはりこの国の交通ルールはよくわからん。
 でも、じっくり話ができて大変楽しかった。海外旅行ではこういうことが何よりの楽しみなのである。