My Note 座禅
2005.3.9

ずいぶん暖かくなってきて、「寒修行」の修行僧も見られなくなった。
福井県は曹洞宗の総本山である永平寺があるのだが、小浜市にも曹洞宗のお寺がいくつかある。中でも有名なのは発心寺(ほっしんじ)と仏国寺で、何人もの修行僧が暮らしている。
冬になると修行僧は笠をかぶって鈴を鳴らし、「オォー」と大きな声で吼えるようにしながら、雪の中を托鉢に出る。
今でもお年寄りは何らかの施しをする。私くらいの年代だとさすがに恥ずかしい。子どもは逃げるか泣くか追いかける。私は追いかける口だったそうだ。
中には外人さんもいる。昔近鉄バファローズの不動のエースだった鈴木啓治氏もよく座禅に来ていたらしい。

私は高校1年のときに一度だけ仏国寺に座禅に行った。同級生が下宿していたので、遊びに行くような気分だった。
それが甘かった。夕食後に1回(45分×2ラウンド)、朝食後に1回の座禅がある。足の感覚がなくなっていく。悟りも何もあったものではない。た、助けてくれ〜と重いながら時間を過ごす。やっと終わるとまともに歩けない。座禅をする部屋は2階にあるので、これは大変だと思っていたらよくしたもので階段にはつかまって降りるための横木があった。
夕食は檀家からいただいた玄米の巻寿司だった。野菜のてんぷら1つと具のない味噌汁。最後にタクアンが回ってきたのでポリポリ食べたら、これで茶碗の中を洗うんだそうだ。
夜はこれぞせんべい布団というようなフトンで寝るが、腹が減って眠れない。くそー、明日は学校へ行く前にラーメン食ってやる〜と思いながら眠りに就いた。
チリーン、チリーンと鈴の音。暗闇を誰かが鈴を鳴らしながら歩いている。「出た〜」のではない。肝試しでもない。朝だよ、起きなさいよという合図なのである。え、だってまだ真っ暗。なんと4時半である。
外へ出ると星が出ていた。暗い中を境内の掃除である。掃除をしている間にうっすらと明るくなってくる。
掃除が終わると、「そのダンボールの中のもので体をこすりなさい」といわれる。ははあ、乾布摩擦か。しかしダンボールの中には亀の子タワシがこれでもかというほど入っている。タオルなどどこにもない。しかたなしにこれでこすってみるが、とんでもなく痛い。
やがて体操。私は体が硬く、自分の膝に頭がついたことなど生涯ただの一度もない。ところがパートナーがついてグイグイ押さえる。ぎゃーやめてくれー。
はぁはぁはぁ、やっと終わった。朝食である。玄米のおかゆと味噌汁。1杯では全然足りないので、空のお椀をテーブルの中ほどに出して、ナムナムと手を合わせてこする。すると給仕係の人がおかわりを入れてくれる。横目で見ながら、「もうそれでいいです」というときに「ナムナム」をやめるという仕組みだ。
最後にまたタクアンで茶碗の中を洗う。最初にお湯が回ってくるのでこれとタクアンで洗って、最後に手桶が回ってくるのでここに捨てる。タクアンはもちろん食べる。
あー、やっと終わったと思ったら朝の座禅である。60分みっちり。またもつかまり棒のお世話になりながら階段を降りる。

あーあ、とんでもない目に会った。もう来ねーぞ、こんなとこ。

そう思っていたはずだった。実際、それから仏国寺には(他のお寺にも)座禅には行っていない。
しかし、大学4年のころから数年間、時々自分で座禅を組んでいた。お尻の下にマクラを入れて、足が痛くなるから30分くらいまでの時間でやめる。でもなんだか落ち着く。へその下に自分の重心をどーんと落として、頭の中はいろいろな考えやイメージが浮かんでくるにまかせる。その浮かんでくるものを凝視はしない。全体をぼーっと眺め渡すようなイメージで時を過ごす。
その時間が自分にとって何だったのかわからない。ただそうしたかったからそうしていただけである。
「そのうち時間ができたら、また仏国寺に行って座禅組むかな」
そう思いながらもう20年、一度も行っていない。

寒修行が見られなくなると春である。そろそろ春の風物詩である「いさざ漁」がはじまる。


2005.3.9 ブログに掲載