そもそもPTAは必要なのだろうか? | ||
2001.4 |
雲浜小学校では、学級崩壊その他、今この時乗り切らなければならない大きな問題はありません。問題がまったくないわけではありませんが、学校・保護者が一丸となって取り組まなければならないほどの問題はないと思います。
ならば、PTAは何のためにあるのでしょうか。資源回収やバザー・ベルマーク収集などをやめて代わりに募金などで設備を整え、プール監視も監視員を雇い、奉仕作業は保護者が協力する学校行事にし、さらに広報は学校だよりにしてしまえば、そして学校と保護者のコミュニケーションを学校対個々としてしまえば、PTAはいらなくなって、先生方も保護者も負担が減るのではないでしょうか。
では、そもそもPTAはどんな理念のものなのでしょうか。単に親睦や経済的援助のためにだけあるものならば、上のようにすればいらないものになってしまうでしょう。
PTAを日本に導入したアメリカは、個人主義で知られています。だけど、それと同じくらい市民・公民という考え方が強い国です。「国家が自分に何をしてくれるかではなく、国家に自分が何をできるかだ」という言葉がありますが、「自分は自分だけではない。社会と係り、社会の中で自分がある」という考え方がしっかりしています。このような考え方があるからこそ、日本の「総出」のようなものはない反面、各々が自分のできる時間に、自分のできる形で社会奉仕・社会貢献をしています。自分と家族の幸福のため一所懸命働く時間、そして家族団欒と休息・趣味の時間をとって、そのあと残っている時間の中から、第一優先で社会奉仕・社会貢献をしなければならない、というモラル感があるのです。
このような考え方で子供の育成をみれば、子供が学校に入学した時点で、子供は「ウチの子」から「ウチの子で、なおかつ社会の子」となります。あくまで「ウチの子」であることには変わりありませんが、「ウチだけの子」ではないのです。だから、「ウチの子をどうしようと親の勝手でしょ」とは決して思いません。児童虐待は、単に人を殺傷してはいけないとか子供がかわいそうとか母性本能の欠如・低下とかいう問題ではなく、許されない反社会的行動なのです。
子供が「社会の子」であれば、これは社会全体で育てなければなりません。将来社会に参加していく子であるからこそ、小さいころから市民・公民意識を育てる必要があるのです。そして、それを教える責任は社会全体にあります。
子供は、学校で先生から知識とともに集団行動を教わりますが、家庭でも市民・公民としてのモラルを教わり、さらに地域社会(友人を含む)で社会ルールを教わります。ならば、学校・家庭・地域社会はスクラムを組むべきです。そのスクラムがPTAです。
日本では、市民・公民という意識が高くありません。農耕社会であり、自ら建国した国でもありませんから当然かもしれません。そのうえ、ほぼ無宗教ですから社会共通の基本的モラルもありません。
その代わりに、農村特有の共同体意識があります。「結」と呼ばれる機構は、農耕民族の国であったころの日本にマッチしたシステムであったといえましょう。
そのため、日本ではPTAもこの「結」の中で機能しています。「結」がある村部では、PTAは様々な地域活動の一環であり、本来の理念からは外れているかもしれませんが、PTA総会などは100%出席になっています。
ところが、雲浜校下は小浜市内で「結」が最も希薄です。江戸時代に一般住民が住んでいたのは上竹原・関だけで、あとは雲浜・山手が武家屋敷、四谷・大手・千種の一部が重臣の屋敷、その他は小浜城の公共用地や川・堀であり、その後も公共用地や新興住宅街などですから、「結」が成立するはずもありません。地域興しの取り組みはなされていますが、わがままがいくらでも通るもろいものです。
こういった地域のPTAは当然ながら参加率が低くなります。雲浜小学校は、まさにそういう状況にあります。PTA総会の出席率はダントツで最下位のはずです。
しかし、PTAは不要ではないと確信しています。アメリカから輸入されたPTAの理念、さらには市民・公民という意識は、日本が健全な社会を作っていくため、定着させるべきものであると思います。子供は社会の子であり、これを社会全体で育てていくための活動がPTAだからこそ、PTAは必要なのです。
ただ、それを文化の違う日本に無理に押し付けるような、木に竹をつぐようなことをするのではなく、「結」のようなシステムがあればそれにうまく組み込んでいくなどの工夫をしながら、少しづつ根付かせていかねばなりません。
それでは、そのために必要な活動は何でしょうか。私は、啓蒙と情報交流であると思います。
啓蒙は、お高い所から理想論をぶつのではなく、各種行事への積極的参加を促すことを繰り返し、ハードルを下げた上で、みんなで考える(やさしいところから段階的に)ことが必要だと思います。
ベルマーク収集を運動化して全員参加型のものに変えていく取り組みは、この象徴的な活動でもあります。ベルマーク収集をしんどくないものに改良するのは最終目標ではありません。べルマーク運動委員会では、失敗を恐れず、しかし理念をよく理解していただいて、運動のとっかかりを築いてもらいたいと思っています。今年で完成する必要はまったくありません。理念を胸に、動き出すことが大切なのです。
また、資金研究委員会の資源回収・バザーといった活動は、物理的な環境整備のために必要なものであり、労働の代価によって身のまわりをよくしていくのだ(働かざる者食うべからず)という社会の基本ルールを大人が体現してみせるためにもこれは継続していくべきなのですが、単なる年中行事のお付き合い(「結」の最も消極的な考え方)ではなく、参加型運動となるよう、様々なアピールを考えていく必要があります。
環境安全委員会のプール当番・奉仕作業も、参加を通して保護者の市民・公民意識を高めるチャンスです。特に奉仕作業は先生方・保護者・子供が全部参加する、数少ない行事であるとともに、日本型社会奉仕の典型的な作業です。積極参加を促す様々な工夫ができればと考えています。
情報委員会の活動は、啓蒙・情報交流の中核にあたる、最も重要な活動だと思います。その中で広報は最も有効な情報伝達手段の1つでしょう。ここに様々な工夫をこらし、さらに情報交流のためにいろいろなアイデアを発案・試行してもらいたいと思っています。
夏休み子供熟は、レクリエーションです。子供と地域の係わり合いが希薄になり、さらに毎日同じこと(ゲームなど)の繰り返してショック・感動を受けることが少なくなっている中で、ちょっとワイルドででっかい体験をプレゼントしたいと思っています。時期・日程・内容など何もこだわらず、楽しいものを企画していただけたらと思っています。
今年は、委員会活動枠から外れた事業予算枠も確保しました。昨年の「おしゃべりティータイム」のようなアイデアが出たとき、それをすばやく身軽に実行するためのものです。
今年1年で理想を実現しようなどとは到底思っていません。しかし、理想・理念はいつも心にとどめておかねばならないものです。各行事をその上にしっかり位置付けて実施していくならば、少しづつではあっても、理想とする方向へ動き出していくと信じています。毎年毎年、PTA活動の歩みを見て、前進・後退を繰り返しながら、方向も多少ぶれながらでも、基本理念をしっかり持っていれば大丈夫です。
このような考え方がしっかり引き継がれていくかはわかりません。しかし、それを信じて、今年まず動き出したいと考えています。
2001年に雲浜小学校のPTA会長になったとき、最初の常任委員会で配布した資料です。肩に力入りまくりですね。^^)
でも、あれからいろいろ経験も勉強もしたけれど、あまり考え方が変わってないんだなあと妙に感心しました。(2004.9.20)