旬のサンマ | ||
2001.11 |
今年の秋はサンマが豊漁であった。脂ののったうまそうなサンマが、1尾100円前後という安さでどーんと売られていた。私は小学6年の時に「目黒のサンマ」という落語噺を読んで、脂ののったところを七輪でじゅうじゅういわせて焼いた旬のサンマとはどれほどうまいのであろうか、と思いをはせ、就寝前のベッドの中でおなかをぐうぐういわせていた経験がある。
そのことを唐突に思い出した私は、「そうだ、大人になった今こそ七輪を買おう。今こそ『目黒のサンマ』を実現させる時なのだ。」と決意し、女房とアヤハディオに買い物に行った時に七輪をゲットした。女房はあきれ笑いをし、たまたまお会いした教育委員会のK先生もあきれて言葉を失っておられたが、なんのなんの私は上機嫌であった。
帰りにサンマと冷えたビールも購入し、ついでに友人に誘いの電話も入れて、いよいよ七輪の使い初めである。炭火をおこし、サンマを焼く前から勢いがついてビールを飲み始めていた私のところへ子供たちがやってきた。数年前から親父の突発的アホ行動につきあってきた子供たちは、あきれもせずに(あと数年でアホにするようになるのであろうが)ただただ七輪でサンマを焼くという行為に興味をしめし、わあわあきゃあきゃあとサンマを焼いては皆でかぶりついたのであった。やがて友人やその家族も現れ、サンマからゲーム、マンガ、おしゃべりと土曜の夜はふけていったのである。
・・・などと椎名誠の飲み食いルポ小説のようなことを書いたが、私は「子供とのふれあい」は大事だとは思っているものの、子供のやることに大人がつきあうというのはなかなかにシンドイものがあり、仕事感覚でいろいろな「お客さん」とつきあうというのはイヤなのである。
自分が楽しいと思うことをやって子供も誘ったり、または子供がやっていることに「面白そうじゃねーか、オレもやらせてくれ」と入っていったりして、お互いに「一緒にやってもOKよ」ということになったら一緒に楽しむ、ということでいいのではなかろうか。いつもベタベタ一緒にいてもシンドイし、気が合うときに一緒に遊ぶ程度に気楽に考えてはどうだろうかと思うのである。
「おばま家庭教育だより」平成13年度号掲載。(2004.9.20)