オンリーワン | ||
2005.3.4 |
東京で雪が降ると「ザマーミロ」と喜ぶ人が雪国にいる。
雪道で動けなくなった車や慣れない雪道で転ぶ人をバカにする。
気持ちはわからなくもないが・・・・
田中角栄が一審で有罪になった後の選挙で20万票だかのぶっちぎり当選をしたあとの街頭インタビューで「新潟県だけで国作ったらええのや。田中国とか名前つけて」と言っていた人がいた。そう思われても田中角栄を押し上げたのは、中越地方に染み付いた『たかり体質』だけではなかろう。中央・都会への反発もきっとあったのではないかと思う。
私は世界一の原発銀座・若狭地方のど真ん中に住んでいるが、『原発を都会に作れ』という意見には、無茶だなと思いつつも同感である部分がある。
「東京になりたい症候群」は我が国にずっと根を下ろしてきた。時代とともに「東京へ行きたい!」と思う田舎若者は減ってきているようだが、自治体は東京になりたい症候群から抜け出られずにいる。
「オンリーワンを目指す」と言いながらも、「ミニ東京」に独自の名前をかぶせただけという自治体も多い。
オンリーワンというのは、価値観の多様性であり、異質なものへの理解でもあるが、同時に「同じものは目指さない」という大前提がないと成り立たない。
児童生徒がみんな「できるなら東大に入りたい」と思っているならば、オンリーワンなど幻想である。「オンリーワンになどならなくてもいいからナンバーワンになりたい」になってしまう。
ナンバーワンになれるかどうかを競い、脱落した者が東大が駄目なら○○大、それも駄目なら△△大・・・・とランクを落としていった(あきらめていった)結果が進学した大学なのであれば、これは同じトラックのレースに他ならない。
ナンバーワンが駄目でもせめて決勝には残りたいが、予選落ちしてしまった者は悔しさを紛らわせる言い訳を考えながら決勝レースを横目で見る。その予選にも出場できなかった者は競技会自体からつまはじきになる。
経済競争も全く同じだ。勝ち組になれなかったら食われる運命である。勝ち残りが正義であるから、ライブドアのやり方はいささかも非難されることはない(法律違反をしていれば別だが)。
本当にオンリーワンを目指せとわが子に言うのは大変である。
「あなたはあなたよ。あなただけのオンリーワンを見つけなさい」
じゃあお母さん、もし東大へ楽勝で入れる頭がありながら高卒で板前になりたいとあなたの子どもが言い出しても、それでも同じことが言えますか?
「オンリーワンになろう」と口で言うのはたやすい。でも、「ナンバーワンになれないから、(次善の策として)オンリーワンを目指そうよ」というのでは、なんだか寂しい。
2005.3.4 ブログに掲載