My Note 弁当配り
2005.2.28

今日(もう昨日:日曜日)は、地区の一人暮らし&70歳以上のお年寄りに、弁当を配った。
まちづくり委員会行事の一つで、この不況の折に食材は全部寄付。市の交流センターを兼ねる公民館の調理実習室で、「食改さん」と呼ばれる食生活改善委員会の方々(60台のご婦人が主要メンバー)がこれもボランティアで調理していただき、民生委員・まちづくり委員・子ども(小学校の5年生から募集)で手分けして配った。
その後、やはり食改さんの調理してくれたちらし寿司・味噌汁・菜っ葉の煮物・鯖の煮付けで全員で昼食をいただいた。
食改さんは40本からの鯖をさばくところからサトイモの皮むき、さらに炊飯に至るまで、全部調理してくれた。

弁当を持っていくと、泣いて喜んでくれるお年よりもいたらしく、子ども達もそれぞれに心に残るものがあったようだが、それ以上に、まちづくり委員のみんなにとって印象深かったようだ。
まちづくり委員は7割が男性で、30〜65歳程度だから、日ごろはそれぞれに仕事を持っている。ビジネス的付き合いはあっても、独居老人に弁当を配るなどという類のことはほとんどしたことがない人が大部分だ。それだけに印象深かったのだろう。

私はアメリカという国は横暴なのであまり好きではないが、ボランティアのランチ配りなどの習慣というか社会システムはたいしたものだと思っている。子どもも休日には何かしらのボランティア活動を行うことが常識化しているし、企業もそれに協力することが常識化している。(・・・・らしい。というか、私の友人達から聞いた範囲の話であるので、あまり詳しくは知らない。)

年寄りであれ、子どもであれ、非健常者であれ、強くない人達を助けることをしない社会は、やはり異常だと思う。社会経済の一線では大いに競争するべきだろうが、社会的弱者にまで社会経済の勝ち負け理論を持ち込むべきではない。くさい言葉だが、助け合うことの出来ない社会は人間の社会ではないと思う。


2005.2.28 ブログに掲載