My Note これまで、そしてこれから
2006.2.13

相変わらずバタバタと日を過ごしているのだが、いろいろなことをしているのに、全部同じようなことをしているような気がしている。無駄ということではない。様々な、一見すると全然関係がなさそうなことをしているのに、何だか向かっているベクトルが同じだったり、向かっている方向のずっと先のほうにボンヤリ見えるものが、実は同じもののような気がしたりするのである。
PTA、ボランティア・NPO活動、地域での活動、技術士支援、会社の仕事、全部が何かしらつながっているなと実感することが多くなっている。
まあ、何をやっても同じ人間がやっているのだから同じ方向を向くのは当然かもしれないのだが・・・・
自分は何をやってきのか、何を考えてきたのか、そしてこれからどうなるのか、ちょっと書いてみようと思って書いたら、かなりの長文になった。

私がPTAというものにかかわったのは、今高校2年生の息子が小学校3年生になるときだ。地区で回り持ちをしている「地区委員」というのにあたった。PTAは、会長・副会長・委員長で構成する常任委員会があって、その下で、各地区から出てくる地区委員と、学級毎に出てくる学級委員、それに先生方で構成されるPTA委員が活動する。
次の年に委員長、その次の年に「常任委員長」というのになった。この時点で、2年後の会長就任が確定する。そして副会長、会長となり、会長になった年に、これも持ち回りで小浜市PTA連合会の副会長になった。これは自動的に翌年の会長になる。そして会長になった時に「事務局固定化」に関して、固定化のかわりにPTA側で事務作業の大半を負担することを当時の教育長と約束したため、翌年、市P連の事務局を務めた。その翌年も引き続き事務局長を務めるとともに、東海6県で回り持ち開催の「日本PTA東海北陸ブロック研究大会・福井大会」の「地域教育フォーラム」担当委員長を務めた。そして今年度、これも回り持ちへの対応で、福井県PTA連合会の副会長を務めた。
足掛け9年だ。来年度は中学校の会長をすることにしているので、これで10年。下の娘が今度中学校3年生だから、これで最後だが、あほちゃうかというくらい、長々とやっていた。
少なくとも「立場上、悪いことはできないなー」と考えるので、交通違反は少なくなった(ゼロにはなっていない^^;)。子どもの虐待とかネグレクト、教員不祥事などが気になるようになった。そのせいか、「こんなにしょっちゅうあるものなのか」というくらい悲しい事件があることに気がついた。何も理解できず理不尽に命を奪われた子の冥福を何度祈ったことだろう。

PTA役員を引き継ぐときの「交換条件」として、というのが動機であるが、警察協助員にもなった。子どもの防犯や安全を守るという視点で活動している団体の多さと、それぞれがバラバラに活動してうることに驚き、情報交換会を企画し、それは「連携街頭補導」として具体化した。今はこれで一度「踊り場」になっているが、来年あたりからは次のことを考えないといけないだろう。
また、協助員の活動の中から、不登校などに関心を持ち、ちょうどPTA東海北陸大会があって、福井県副知事の「不登校児は不良品」発言、管理している掲示板が大荒れになって・・・・などということもあった。実はこの経験が、県PTA副会長を引き受けようと思ったきっかけでもある。結局、県P副会長をしていた1年間でできたことはほとんどなかったけれど、これからは違う立場でずっと取り組んでいくことになると思う。

そんなPTA活動9年の間に、いわゆる教育改革があり、学校が週5日制(=週休2日制)となり、そのことがNPO法人「ホリデースクール」を立ち上げるきっかけになった。
この立ち上げは、「自分でやる」という発想を私の中に爆発させた。それまでは「PTAとかいろいろな役を持って大変だね」と言われると、「でもいまあ、いつか回ってくるから」とか「誰もいなくて」なんて「仕方ない」ように言っていたのが、自分自身が積極的にやりたいと思ったと公言できる「ふんぎり」がついた。遠慮がなくなったというか・・・・

ホリデースクール立ち上げから多くの人たちとの出会いが始まり、小浜市にボランティア・市民活動交流センターができた時には、その運営協議会「WACおばま」の会長になった。いろんなボランティアと出会い、それらの活動を見ている間に、ボランティアを支援する組織の必要性を痛感し、WACおばまをそういう組織にしようと思い、そのための経済的自立を真剣に考えるようになった。そのために指定管理者になろうと決めて、今、その第1段階としてNPO法人化の最中だ。そしてそれまでの事務局を、小学校PTA会長時代の校長先生がやってくれる。
この過程で、ボランティアもNPOも、社会的責任を持ち、期待(ニーズ)に継続的に応えられる組織にならない限り、趣味のサークルと大差ないことを痛感した。そして、社会的責任を受け持てるということは、その組織は市民参加(あるいは市民主体)のまちづくりの一翼を担うことができるということでもあるということを理解した。そう、ボランティアやNPOは、利他の精神で活動しているというだけでは不足で、社会に対する信頼と実績を作れるようになる必要がある。それができてこそ市民主体のまちづくりに参加できる。具体的には、行政とのコラボができるようになる。「そこまでやるのはしんどい」のであれば、その団体のできる範囲でしか社会参加ができない。実力以上のことをしても、かえって迷惑をかけてしまう。
実はそこのところが、ボランティア・NPOが伸びていく上での大きなハードルになっている。だから、そこのところの「しんどさ」を分担して受け持ちましょう、というのが「WACおばま」の考える支援であり、そのための指定管理者なのだ。

地域では、小浜市主導で「いきいきまちづくり」プロジェクトが始まり、小浜市内12地区に「まちづくり委員会」が作られ、その1つである雲浜地区まちづくり委員会に入り、5年目だ。
「自分たちの地域の10年先を考える」というテーマで始まった委員会だが、「自分たちでできることを探して、自分たちでそれを実行する」という、市民主体のまちづくりの基本的なことが、少しずつ浸透していることを実感している。最初はどうしても行政への「おねだり」発想から抜けなかったが、5年たった今では、「今度は何をやろうか」という発想が当たり前になっている。
ここでやられていることは、本当の市民レベル、PTAもNPOもボランティアもしていない、本当の一般市民レベルでの「まちづくり参画」だ。本格的なまちづくり市民団体から見れば笑われるようなレベルの活動をしているけれど、着実に成長している。頭で考えるのではなく、試行錯誤的な経験の繰り返しの中で、「やってみて、考えて、またやってみる」を確かに実行している。

そして、そんな「市民主体のまちづくり」を考え始めるのとほぼ同時に、会社で取締役として経営スタッフに入った。
末席取締役であり、ただの部長と何も変わらないのが現状だが、身の程知らずにも、自分なりの経営というものを少しずつ考えるようになっている。
社会の中での会社のあり方というのは、本当に難しい。「仕事を一所懸命やっていれば、それで社会のためにもなるから、会社は社会的役割なんて考えなくてもいい」という時代でもない。右肩上がり経済成長の時代ならともかく、不況の中では「会社が生き残るためなら社会に不要なインフラ整備でもやる」という、会社発展と社会の発展がトレードオフになるということさえ起こり得る。
何と言っても社員とその家族の生活がかかっているから、闇米を買わずに餓死した検事さん(だったっけ?)のようなことはできない。そもそも従業員なら会社が潰れても自分の腕次第で次の人生があるが、経営者は責任をとらなくてはならない。
だけど世のため人のためが先に来て、金儲けはそれについてくるものという商売の原則を忘れてはおしまいだと思う。事情により一時的に金儲け優先になったとしても、本当はどうあるべきかは忘れるべきではないと思う。
そして市民主体のまちづくり。官公庁と企業だけでインフラ整備を進めていた時代、そしてその仕組みの中に、市民がどんどん入ってくる。これまでの仕組みに市民の座る場所はないから、摩擦が起こっている。でも、市民団体は反対団体ではない。私利私欲や独善的価値観の押し付けに走る者もいるかもしれないが、大多数は、少しでも多くの人が幸せになれる社会、安心して結婚して子どもを生んで育てて、安心して年をとることができる社会を作りたいと思っているだけなのだ。これまでと違うのは、それを行政に「お願い」するのではなく、できる部分については自分自身でやろうとしていることだけなのだ。これからは市民団体も社会的責任を持ち、「文句を言うだけ」ではなくなる。きっとそうなる。
そういう社会において、企業はどのようなポジションにいればいいのか、市民との関係をどう築けばいいのか、特に土木建設業界では、これまでがこれまでだけに、なかなか道のりは平坦ではないように思う。

そしてネット。「技術士受験を応援するページ」と「技術の杜 ハヤブサネット」である。
技術士応援ページは立ち上げから3年が過ぎた。アクセス総数は、HPが430万、掲示板も150万に達している。サイトのProfileにも書いてあるが、「めぐり合いと連携」が私の願いだ。互いの独立性というか人格・立場を尊重し、切磋琢磨しつつも、連携することは可能なはずだ。互いの尊重が「触らぬ神にたたりなし」や個人主義に、切磋琢磨が追い落としや足の引っ張り合いになるのではなく、である。これは結局、WACおばまで目指していることと同じ方向だと思っている。
昨年度の口頭試験で、はじめて講師を公募して口頭試験支援ボランティアをやってみた。成果も反省点もあった。これからは、こういう試みを前進させたい。
また、ボランティアで、ネットを通じてやれることのメリット・デメリット(というか限界)も見えてきた。多くの情報を多くの人に公開すること、これが一番中心となる仕事だ。そこから個別ケアに移っていくと、一気に負担が増す。そこで、ボランティアを募って支援ボランティア活動になる。負担をボランティア講師で分け合う。ここまではネットでできる。
しかし、face to faceのほうが、はるかに効果が高い。昨年の「公開添削」で実感したことだ。口頭試験支援ボランティアでも、同様だった。メールよりも電話、電話よりも面談だった。
しかし、会場を段取りして、あらかじめ告知しての講習会は、たとえ必要経費を徴収したとしても、とても荷が重い。最初のうちは熱意で乗り越えられるだろうが、いずれ擦り切れてしまう。NPO・ボランティア団体が息切れする典型的なパターンだ。
結果、無理せず活動できるレベルの活動だけに絞り込むことになる。でもこれでは縮小だ。自分は楽になるが、本来の目的(受験生支援)からは後退する。
そこで出てくるのが「連携」だ。今度はボランティア同士だけではなく、公共や企業との連携である。そう、これは「WACおばま」で実行しようとしていることと同じ方向性なのである。
「WACおばま」は指定管理者になるのが目的の団体ではない。しかし、それによって、本来の目的であるボランティア支援を、より強力に、確実に行えるようになると思っている。
「技術士応援ページ」でもボランティア同士の連携はどんどん進める。ボランティア添削とかね。と同時に、ボランティアにこだわらない連携により、本来の目的である支援を、より強力にしてきたい。
さて、「杜ハヤ」である。「活動するも、休むも自由」である。
この2年間、経験論文添削「虎の穴」を実施した。1年目190人弱、2年目300人強の受講生を支援した。2年目は、304人中177人が経験論文A評価という実績を叩きだした。来年度は経験論文最後の年でもあり、杜ハヤの枠にこだわらずにボランティア講師を募って添削を行いたいと思っている。
また、杜ハヤのつながりの中で、仕事上の連携も実現しようとしている。
杜ハヤが、ボランティア活動・営利活動ごちゃまぜのプロジェクト参加型組織として動き出したら面白いだろうなーと思っている。いろいろな出会いがあり、時には仕事のやりとりがあり、ボランティア活動がなされ、近くにいる者同士は飲み会をしたり、face to faceの活動をしたり・・・・という、緩やかで大きな枠になったらいいなと思うのだ。

来年度は、またいろいろなことが起こるだろう。
とりあえず中学校のPTA会長をすること、ホリデースクールとWACおばまという2つのNPOの理事長を務めること、警察協助員(若狭地区)の副会長と雲浜地区まちづくり委員会の部会長を続けることが決まっている。技術士応援ページも、ボランティア活動、企業との連携など、新しい活動を始める。杜ハヤも徐々に進化するだろう。
プライベートでは、中国・西安からの留学生をホームステイさせる予定だ。これと重なってしまうが、息子は大学、娘は高校の受験である。
様々な活動や出来事が、時に強く、時にうっすらと、つながっている。ある活動での経験が他の活動に生きてくる。その点は、仕事もNPOもボランティアもプライベートも関係ない。
来年の今頃、それぞれの活動はどのようになっているのか、そして私は何を考えているのか、楽しみである。