教育って | ||
2005.2.5 |
不登校の問題をいろいろ知り、また考えて、教育って何だろうとふと考えた。
読み書きそろばん、運動能力、健康な体、地域を愛する心、福祉理解、環境理解、国際理解、生きる力・・・・
一つは「社会をまかせられる人間を育てる」ことだろう。
私はもう4年ほど前、小学校PTAの会長になったとき、入学式の挨拶で、「今日からお子さんは、お家のお子さんであるとともに、社会の子です」と申し上げた。親には社会をまかせられる子どもを育てる社会的義務があると考えた。今もそうだ。
打算的な言葉かもしれないが、「社会に役立つ人間」と言ってもいいだろう。
でもそうすると、失敗したら社会に役立たない人間、まかせられない人間になっちゃうの?そうなったらその人はどうするの?という疑問も出てくる。そうならば、この考え方は、「社会に役立つ製品を作る」ということと大差ないのかもしれない。そうすると、失敗すれば出てくるのは「不良品」つことになってしまうのかもしれない。
もう一つの視点はどうだろう。社会の中の子どもとしてみるのではなく、一人の人間としての子どもという視点だ。役に立つとかどうとかいう以前に、人間であるという視点だ。
それは、「幸せになりたい」ということだ。子どもも大人も老人も、ほとんどみんな幸せになりたいはずだ。子どもは時としてとんでもないものを幸せと考える。「大きくなったらウルトラマンになりたい」とか。だけど、子どもは子どもなりに自分の理解できる範囲で幸せになりたいはずだ。大人ももう可能性は限られているかもしれないけれど、その中でできるだけ幸せになりたいし、余命幾ばくもないお年よりも、残った一日一日を幸せに過ごしたいと思っているはずだ。
子どもたちが幸せになることを手伝うこと、それも教育とはいえないだろうか。もちろん「幸せパッケージ」を作って子どもに何の苦労もなしにプレゼントするなどはナンセンスであって、あくまで手伝いでなければいけないのだが、「幸せ探しのお手伝い」みたいな、何だか結構相手探し商売のPR文句みたいではあるが、そういった視点で教育というものを捉えてはいけないだろうか。
そうすると、2つのことに考えが及ぶ。
1つはそれは学校にだけまかせてしまっていいものでは決してないということである。家庭教育が一番大事だということである。
もう1つは、「自己肯定」が何よりも大切だということである。「みんな違ってみんないい」である。勉強ができる子、勉強はいまいちだけれどスポーツが得意な子、勉強もスポーツもいまいちだけれど優しい心を持っている子、みんなそれぞれの幸せになる道があるはずだ。
たとえ無茶苦茶勉強ができても自分がキライで自分を幸せだとも思っていない子が、どうして「社会に役立つ」だろう。マッドサイエンティストにでもなってしまうのが落ちではないだろうか。
そう考えると、自我が未発達で自分で自己肯定ができない小さい子には、親や大人が「あなたはOKですよ」と言ってあげることが、やはり大切なのだ。「あなたはOKじゃない」と言ってしまうと、真っ白な子どもはそれを受け入れざるを得ず、「そうだ、僕は悪い子だ。じゃあ死にます」になってしまったりするのではなかろうか。
そして不登校である。
教育・子育てが、社会に役立つ人間を作るものであれば、不登校になるということは、教育の指名に逆行するものになってしまう。
でも、教育・子育てが幸せ探しの手伝いであれば、不登校になったといっても、それは一時的な寄り道・お休みに過ぎない。なぜなら一人一人の幸せになり方があるからだ。そしてそれなら一人一人が自己肯定してもOKだ。たとえ不登校であっても。
うまくまとまらない。まだ自分の中に芽生えて間もないイメージなので、うまく言葉にできない。
だけど、真剣に考えてみたいことである。
そして教育だけでなく、仕事も、資格試験も、たいていのことは「幸せになりたい」ということをキーワードにすると視点が変わってくるように思う。
・・・・やっぱりまだうまく言えないな。
Posted by apec_pe at 01:06
教育や子育てって難しいですね。話をすればするだけ、課題が出てきます。
社会の中の子と言う観点も大事だと思っています。
役立たない=不良品ではないのではないかな?不良品が全部使えない物ではないし、形外れ品だってしっかり使えるではないのかな。周りの力を借りて社会の中で生きていく事もありだと思います。
私自身は、教育や子育ては、自立させる事だと思っています。もちろん、自立する中に幸せを求めていくのだと思いますが。その手助けしかできないのが、親であり大人なんだと感じています。
そして、自立した個々が協力し、社会を作っていくのですよね。
いろいろあっていいんですね。それを認め合う力を養ってあげなくてはいけない。
なんて言いながらも、未熟な私は、子どもと共に学ばなければいけません。
「家庭教育の重要性」を掲げても、家庭教育をする者の育成がまだまだなのですよね。
副知事の「不良品発言」が無かったら、不登校や教育について、こんなに皆さんの意見を聞く事は無かったと思います。
また、インターネットによる情報を活用することも無かったかな。
次世代育成支援法に基づく行動計画を、各県や市町村で作成されていることと思います。どれにも、家庭教育についての支援が謳ってあるかと思うのですが、実際の取組や取組についての格差が出てくるのでしょうね。
昨日の会議で突っ込みきれなかった自分にイライラしています。
やっぱり、来年度も家庭教育の分野で活動したいな。私のPTAのベースは、ここにあるのです。
ごめんなさい、イライラ状態で書き込みましたので、まとまらずに滅茶苦茶です。
Posted by ELK at 2005年02月05日 09:35
ELKさんのっしゃるとおり、副知事発言は大きなきかっけになるかもしれません。少なくともELKさんや多くの方と知り合えましたし。
私の場合、あれもこれもといろいろ考える中、肝心のNPOのほうがお留守になっています。(仕事が忙しいのもありますが・・・・)パートナーも仕事でいっぱいいっぱいになっています。こういう時は、レベルは一時的に下がっても、投げ出したり他人に転嫁したりだけはしちゃいけないと思っています。
今、ちょっとしんどい時期ですが、やりたいことがいっぱいあるので、その楽しみを前借してがんばります。
お互いがんばりましょう。
Posted by APEC at 2005年02月05日 13:20
ELKさんも述べられていますが、凄く「重い」問題ですね。
私には二人子供がいます。一人はどちらかというと優等生タイプ、もう一人は落ちこぼれタイプ。(こんな文章はとても家で見せられない!)
でも二人とも自分の子供ですので、二人とも生きていける手助け(勉強とか習い事とか)をしたいと思っています。
結局教育とは「人間社会で生きていくすべを学ぶこと」ではないかと。
Posted by 井戸端 at 2005年02月05日 18:50
こんばんは。
私の息子2人も、違ったタイプで、逃げて逃げて仕方なくやる長男に、やるべきことはテキトウにうまくこなす次男坊。でも、それぞれにかわいいんですよね。(すでに、中学生と高校生です)
本当に子育ての結果って、私達が他界するときに分かるような気がしています。
手を出さずに見守る姿勢って、母親には辛いんですよね。でも、それを楽しんでいますが。
APECさんを、スーパーマンのように感じていたのですが、考える事が多ければ、手薄になる事はもあるのですよね。
ついつい、焦りが出てしまって。
Posted by ELK at 2005年02月05日 22:44
これは奇遇、我が家も子どもは二人です。って、二人と言うのが一般的なのかもね。
高校生の息子と中学生の娘ですが、それぞれの個性があります。良いところ、悪いところがあり、時には悪いところがすごく表に出てしまい心配することもあります。何とか人様に迷惑をかけず自分も幸せになってほしいと、これはもう願うばかりです。親は全部やってあげることはできないし、中学生くらいから先は友達の影響力のほうが強いくらいになるので、本当に願うばかりという時が多くなりますよね。
ただ、二人ともNPO活動には時々来てくれます。息子は火起こし体験の助手程度なら務められるようになりました。
二人とも、PTAだのNPOだので親父が活動しているのをそれなりに誇らしく思ってくれているらしく、それがまた励みにもなっています。
でもね、わが子にプラスになって、地域や学校の子ども達にもそれなりにいろいろな体験機会を提供してきたのですが、それは全部プラスをさらにプラスに、明るいところをさらに明るくしようとしてきたと思うのです。
不登校などを考えるようになって、マイナスをできるだけゼロに、さらにプラスに持っていき、暗いところを少しでも明るくしないといけないんじゃないかと思うようになりました。
ちょっとくらい失敗してもつまづいても休憩してもいいんだよ、という教育環境、安心して(失敗しちゃいけないという切迫感なしに)子育てができる環境があることは、がんばればどこまででも伸びられる(習熟度別授業や飛び級によって)ということよりも優先順位が高いのではないかなと思います。
すごく便利な交通網やIT環境があるけれど、大雨が降ったらすぐに被災して、それはそんなところに住んでいて自己防衛もしていなかった結果であり、自己責任でしょうということで片付けられる社会と、すごく便利な都会などに比べたら多少不便だけれど、災害から生活を守ることは、未然防止面でもアフターケアでも手厚い社会と、どちらがいいでしょうか。国民はどちらを選ぶでしょうか。それと似たようなものではないでしょうか。
異常な事件が続く中で、子どもの安全・安心に対する関心は高まっていますが、「安心して子育てできる」こともまた大切だと思います。
まだ暗中模索なのですが、そして何か行動する時間もなかなか取れずにもどかしいのですが、そういうことに関して何か自分にできることをやりたいというのが17年度の目標です。
Posted by APEC at 2005年02月06日 11:12
2005.2.5 ブログに掲載